Maison MORABITO
モラビトの世界
「贅沢は特別なことではありません。特別なことが贅沢なのです。」
モラビトの創業者はそう繰り返していました。
1905年フランス、
宝飾職人だったジャン・バティスト・モラビト[Jean Baptiste MORABITO]によって、MORABITOは誕生しました。
宝飾の感性からつくられるバッグの繊細な美しさは、またたく間に世界の王侯貴族やVIPを魅了。
美にこだわりつづけた彼は、最高の素材と研ぎ澄まされたセンスにより、
“ただひとつの美しさ”を宿したエレガントな作品を生み出すことに、生涯のすべてを捧げました。
この創業者ジャン・バティスト・モラビトの精神は、今もモラビトのメゾンで脈々と継承。
品格とエスプリを兼ね備えた最高級老舗バッグブランドとして、
世界中のファッションシーンに彩りをもたらしています。
創業者 JEAN BAPTISTE MORABITO
MOVIE
CHRONOLOGY
- 1880-
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1885年ジャン・バティスト・モラビト(Jean Baptiste Morabito)は、ナポリの宝飾細工職人の家に生まれ、
ローマでの10年間の厳しい修業を経て、1905年に南フランスのニースに宝飾細工とトランク製造の看板を掲げ、
アトリエ兼ブティックの「MORABITO」を創業。金・銀・珊瑚・べっ甲といった素材を扱った繊細で美しい作品は、
バカンスに訪れた上流社会の貴婦人たちの間で瞬く間に話題となりました。 - 1910-
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当時、フランス社交界で貴婦人が持つイブニングバッグは、金銀細工の口金のバルーンサック(風船型の手提げ袋)が主流でした。
その頃すでに「べっ甲細工のスペシャリスト」と呼ばれていたJ・B・モラビトがバッグの口金を得意のべっ甲細工にすると、社交界の貴婦人たちはその斬新さと優美な芸術性にたちまち魅了されました。
また、カットビーズのイブニングバッグを最初に製作したのはモラビトです。
このベル・エポックの時代に、モラビトはヨーロッパの王侯貴族からも信用を得ることになります。
1912年、当時としては画期的な素材であったクロコダイルのバッグや、
初めてダイヤモンドを口金にあしらったバッグも発表。 - 1920-
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1921年、パリのサントノーレ通りにブティックを開き、皮革製品、ジュエリー、トランク類、
得意とする金銀細工の創作品などのコレクションを発表。 - 1940-
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1947年、フレグランス“morabito No.7”を発表。ブランドのアイコンである亀をデザインしたガラス製のフレグランス・ボトルが誕生。
2次世界大戦後は、女性の社会進出にあわせ、肩からかけられるショルダー・バッグを発表。
ハンドバッグ業界に再び新しい旋風を巻き起こしました。 - 1950-
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1951年、ジュエラーが軒を連ねるヴァンドーム広場1番地を本拠地とし、各地に点在していたアトリエを集約。
熟練した職人が何日もかけて手作業で丹念に作り上げるモラビトのバッグは世界の王侯貴族やセレブレティに一層親しまれました。
1958年、マリリン・モンローは、外出時にビューティーケースをもたずにすむような、タウン・旅行兼用で化粧品が入るボックスタイプのバッグをオーダー。
旅の始まりを連想させるパリの駅”オルセー”と名づけられたこのモデルは今でも多くの方に愛されています。 - 1960-
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1961年、オペラ界のプリマドンナ、マリア・カラスがオーダーしたバッグの名前は、カラスの代表作である“椿姫(ラ・トラヴィアータ)”。
竪琴のように湾曲した少し長めのハンドルは、古典音楽を敬愛していたカラスの希望によるもので、ハンドルの付け根と中央の金具のデザインは、カラスのお守りを象徴。
小ぶりで上品な“トラヴィアータ”は、現在もベストセラーモデルの一つです。 - 1970-
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1971年、昭和天皇・皇后両陛下ご訪欧の際、コレクションが両陛下に披露される名誉を賜り、
当時のポンピドー仏大統領より皇后陛下にモラビトのクロコダイルバッグが贈られました。 - 1990-現在
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1996年、ジョルジュ・サンク通りへブティックを移転。
2007年、90年代を過ごしたジュルジュ・サンク通りのブティックから、パリでジャン・バティスト・モラビトが初めてブティックを営んだサントノーレ通りに移転。モラビトは、人々に卓越したクラフトマンシップによる真のラグジュアリー、エレガンスを伝え続けています。